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▼赤井英和さんのWikipedia風プロフィールはこちら

本名:赤井英和

出身地:大阪府

身長・体重:178cm・82kg

年齢・誕生日・血液型:55歳・8月17日・A型

小学校・中学・高校・大学:金塚小学校⇒今宮中学⇒浪速高校⇒近畿大学

 

今回は個性ある方ですよ~♪

 

俳優、タレント、元プロボクサーの赤井英和さん。

 

愛すべきお方ですよね~^^。

 

存在そのものが日本の宝といってもいいのではないでしょうか?

 

10代~20代にかけては、ボクサーとして
「浪速のロッキー」の異名を取るほどの大活で、世間を虜にしたあと、
引退後は俳優に転身なさっています。

 

現在は、大阪ではバラエティとしての活動を中心に、
また東京では俳優としての活動を中心にご活躍中です♪

 

赤井英和/ボクシング/動画

 

さて、それでは赤井英和さんを語るうえで欠かせない、
ボクサー時代のお話から♪

 

後にも先にも、赤井さんほど
世間から愛されたボクサーはいらっしゃらないでしょう。

 

アマチュア時代じは、
本来の姿である華麗なフットワークを使う、玄人好みの
アウトボクサーだったことはあまり知られていません。

 

それは、プロ転向後のいわゆる“喧嘩ボクシング”のインパクトが
あまりにも強烈だったからです(^^;。

 

「プロは客を沸かせてナンボの世界」

 

当時はまだ弱小だった所属ジムから、世間に名を売るためには、
記録でも記憶でも、
人々に赤井英和の名を印象づける必要があったわけです。

 

試合では、対戦相手をバッタバッタとなぎ倒す豪快なボクシングで、
ファンを魅了していきましたが、
一歩リングを降りれば、屈託のない笑顔で、愛嬌を振りまき、
情に熱い地元の人々を中心に愛される存在だったわけです♪

 

それでは、そんな赤井さんのボクシング人生を、
簡単に振り返ってみましょう^^。

 

高校入学と同時にアマチュアでボクシング部に入部された赤井さん。

 

3年生時はにライトウェルター級で
インターハイ、アジアジュニアアマチュアボクシング選手権を
優勝した実績をお持ちなんです(゚д゚)。

 

ここでの活躍を認められ、近畿大学進学後は、モスクワオリンピックでも
日本代表を確実視されるほどの活躍ぶりを発揮されましたが、
ここでは惜しくも補欠にとどまることになりました。

 

結局モスクワ五輪は、東西冷戦のあおりを受けての日本代表が
出場を辞退(ボイコット)したことにより、
プロボクサーに転向することを決意なさったんです。

 

漫画はじめの一歩をご存知でしょうか?

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あの漫画に登場する千堂武士のモデルになった人物こそが、
赤井英和さんだったんです(^O^)。

 

プロでの赤井さんは、全日本新人王を獲得後、
攻撃型ボクサーとして、当時の日本記録であったデビュー以来
12試合連続KO勝ちという快挙を成し遂げ、そのスタイルから
「浪速のロッキー」の異名をまとわれていました。

 

ボクシングの実力と同時に、
試合後のユニークなインタビューのコメントも人気を呼び、
ノンタイトル戦ながら全国中継をされるほどの注目ぶりでして(゚д゚)。

 

その人気ぶりは、当時の世界王者を凌ぐほど・・・。

 

例えば・・・
赤井さんのボクシングスタイルはこんな感じだったんですヽ〔゚Д゚〕丿。

動画

 

しかしながら、迎えた世界タイトルマッチでは、
見事な“ど付き合い”を見せるもTKO負けを喫してしまいます(>_<)。

 

世界挑戦敗退後、正式に赤井さんの専属トレーナーとなったのが、
名伯楽、エディ・タウンゼントさん。

 

その指導方針や人間性から、今でもボクシング界では、
指導者の見本にされる優れたトレーナーで、
当時の赤井さんも絶大の信頼を置かれていらっしゃいました♪

 

そのエディさんを知ることができる最も最適な本が・・・

⇒ 『オーケー!ボーイ エディさんからの伝言
 

ボクシング界のみならず、
全ての指導者たる立場の方々に、ぜひ手にとっていただきたい一冊♪

 

再起をかけて順調に勝ち星を重ねた赤井さんが
いよいよ迎えた2度目の世界タイトルマッチ前哨戦・・・。

 

しかしこの試合が、今でも語り継がれるわけですが、
赤井さんのボクシング人生に幕を下ろすことになる
伝説の一戦となったんです。

 

試合は第7ラウンドでのKO負け。

動画

 

試合後意識不明に陥った赤井さんは、
急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断され、
大阪市内の富永病院で開頭手術が行われました。

 

搬送時生存率20%、手術後生存率50%と
極めて重篤な状態であったにも拘らず、奇跡的に一命を取り留め、
最悪の事態だけはまぬがれ、ファンに一応の安心を与えましたが…。

 

赤井英和/伝説

 

それでは、見事なまでのやんちゃっぷりを発揮なさっていらした
赤井英和さんの、若かりし時代の伝説をご紹介しておきましょう(笑)。

 

地元大阪でいうところの“ごんた”ですね^^。

 

中学・高校時代の赤井さんは喧嘩に負けた事がなく、
大阪一帯にその名は響き渡っていたといいます。

 

しかしながら、自分より弱い者に対して手を上げることはなく、

 

「ここで一番強いの誰や! 勝負せい!」

 

と、常にまさに道場破りのようなな喧嘩を繰り返されていました。

画像

 

古き良き時代(?)の“正義番長”といったところでしょうか?

 

自伝によれば、
両手の指に数えられるくらいしか、喧嘩はしたことがない・・・
と主張をしていらっしゃいますけどね(^^;。

 

同世代には、同じく喧嘩が強いとされていた、
現在はプロレス界の重鎮、前田日明さんもいらしたようですが、
ニアミスこそあったものの、
2人が手を合わせる事態にはいたらなかったようですヽ(;▽;)ノ。

 

また赤井さんと同じ大阪西成出身である亀田三兄弟ですが、
実はこれには、“元祖”亀田三兄弟がいることをご存知でしょうか?

 

何を隠そう、現亀田三兄弟の父親、亀田史郎さん兄弟なんです。

 

ちなみに史郎さんは、三男です・・・。

 

この“元祖”亀田三兄弟は常々

 

「高校に進学したら赤井を倒す」

 

と、豪語なさっていたようなのですが、これを聞きつけた赤井さん

 

「学校をサボって亀田長兄の通う中学に乗り込み、どつきに行った。
史郎君はまだ小学生だった」

 

と回想なさっています。

 

ちなみに当時のこの亀田長兄は、赤井さんのパンチは、
過去最強に強烈だったことを明かされていますヽ〔゚Д゚〕丿スゴイ。

 

また、赤井さんは、浪速高校以外にも、
住吉高校も受験なさっており、受験会場では、
これまた当時は不良としてならしていたらしい
トミーズ雅さんとニアミスしたという事件もあったようです。

 

お互いにメンチを切りあっていたとの目撃談もあるようですが、
その時は、お互いに相手が誰なのかを知ることはなく、
場所が受験会場であったことから、問題行動を自粛し、
大事に発展することはなかったようですけどね(^^;。

 

のちに、メンチを切り合っていた相手が、
あの赤井英和さんだと知ったトミーズ雅さんは、とにかく、
赤井さんの高校受験不合格を祈り続けていたそうです(笑)。

 

結局、赤井さんは・・・
住吉高校受験には失敗され、浪速高校へ進学されています。

 

後に雅さんは、プロボクシングの世界で活躍なさるわけですが、
過去に一度だけ赤井さんとスパーリングを行われた事が(゚д゚)。

 

当時は雅さんの方がプロキャリアでは先輩で
、階級も上だったこともあり、

 

「稽古つけてやろう」

 

的なノリで、対戦なさったようですが、
赤井さんの軽い左ジャブを浴び、
こん棒で鼻を突かれるような衝撃を受け、骨折されたとか。

 

「こいつには勝てない」

 

と悟られたんだそうです(^^;。

 

以下、そんな赤井さん本人が、
学生時代を振り返って語られた内容を掲載しておきますので、
ぜひご覧になってみてください♪

 

暴走族全盛だった1970年代後半に中学、高校時代を過ごした赤井英和(54才)は、大阪・西成では知らぬ者のいないほど有名なヤンキーだった。通学電車の座席でふんぞり返るヤンキーを見かけると「風紀が乱れとるなぁ」と足を蹴って回ったという、まことしやかな噂も。果たしてその伝説は本当なのか? 本人を直撃!

「はい、本当です…(苦笑)。うちの学校の沿線には荒っぽい学校が多くて、ヤンキーがいっぱいおりましてね。そこで電車の中や駅でしかけると、“赤井がまたやりおった”“○○駅でどつきあいしとった”と、バーッと話が広まるんですよ。それを聞いてよしよしよし! とニンマリですよ(笑い)。名前を売るために電車を利用したというのが真相ですわ」

当時の髪形はアイパーかパンチ。剃り込みを入れて、中ランにボンタンというハードなスタイルだった。

「高校生の子供ですけど、ひげも一生懸命伸ばして、お母ちゃんの眉墨で描き足したりして“よっしゃ、これでまた大人になったな”と悦に入ってましたわ(笑い)」

そんな赤井をクラスメートは怖がっていたかと思えば、実はクラスでは大の人気者だった。卒業して、35年以上が経つ今も同級生とはよく会う仲だ。

「高校は別に不良高校とかじゃなかったから、大半はみんな普通の生徒ですよ。でも、誰もぼくを怖がったりはしませんでした。学校はみんなでつるんで仲良うやって、一生の財産ができた場所です。今でも当時の友達と“あの時はこうだった、ああだった”なんてよく話をしますよ」

人気の秘密はヤンキーならではの情の厚さ。クラスメートが「天王寺のターミナルで○○高のやつらにやられた」と駆け込んでくれば、「よっしゃ行ったる」と出張り、かつあげの現場に遭遇すれば「何しよんねん!」とワルを殴り倒す。ヒーロー的存在だった。

「おれらは世直し軍団や!と言うとったけど、やる方もやられる方もみんな知ったような顔で、よう考えたら友達同士でじゃれあってただけだったかもしれませんね。でも、“ま、そういう(世直し)ことにしとこうぜ”って(笑い)」

そんなケンカに明け暮れたヤンキー生活にピリオドを打ったのは、高校2年生の時だった。

「ボクシングの国体で、無名のぼくが有名選手に勝ったんですね。雑誌に“無名の赤井が勝つ”という2、3行の記事を読んで、俄然やる気になりまして、翌日にはスポーツ刈りにして、朝4時にトレーニングをして学校に行って、放課後はジム通い。本腰を入れてボクシングに取り組みました。

ヤンキー時代は恥ずかしい過去?

「いやいや、ぼくにとってかけがえのない青春。いろんな人に迷惑もかけたけれど、あの頃があるからこその今ですよ」

 

赤井英和/激やせ/禁酒

 

赤井英和さんが激やせ?禁酒?

 

何かの病気かとご心配なさった方も多いかもしれませんが、
これ、2009年10月にフジテレビで放送された特別番組
『僕と家族の公式記録』出演に向けた赤井さんのお話なんです。

 

とは言っても、俳優としての役作りの類のお話ではなく、
ボクシングの試合(公開スパーリング)に向けた減量のお話♪

 

番組で企画された内容というのは、
非公式ながらボクシング引退から25年を迎えた赤井さんが、
引退試合を行うというもの。

 

赤井さんのボクシング生活は、上記の通り、まさかの事故により、
ある日突然終焉を迎えたわけです。

 

当然、引退式もなく、引退から25年を迎えられたわけですが、
引退25年周年を記念して、公開スパーリングを行おう・・・
といった趣旨のもと、企画されたわけです^^。

 

この挑戦では、脳挫傷の影響が懸念されましたが、
医師による診察の結果「右側頭部にパンチをもらわない」
との条件付きで試合を許可された経緯があります。

 

番組制作者も、

 

「体重を75kgにまで減らさなければ挑戦権を剥奪する」

 

との厳しい制約を課し、さらにトレーニングの途中まで
赤井さんに対戦相手を明かさないという徹底ぶりでした(゚o゚;;。

 

引退後は、これといった節制とは無縁の生活に暴飲暴食を
続けてきた肉体は、現役時代とは程遠いものだったのですが、
178ラウンドに及ぶトレーニングの末、
5.2kgの減量に見事成功なさったんです。

 

赤井さんは、

 

「50歳の自分が真剣に戦うことで、(部員の不祥事で2009年6月に廃部へ追い込まれた)近畿大学ボクシング部の後輩たちに、“ボクシングは素晴らしい”とのメッセージを送りたい」

 

との決意を胸に、この試練を乗り越えられました♪

 

1ヶ月に及ぶ禁酒・禁煙と、
妻が帯同したトレーニングの末に迎えた対戦相手はというと・・・。

 

当時現役のWBC世界バンタム級王者であった、
長谷川穂積さん(・□・;)。

 

3ラウンドの公開スパーリングに臨まれ、ダウンを喫するも、
最後まで戦い抜く姿は、感動を呼びました(;_;)。

 

赤井英和/だるま

 

赤井英和さんの地元といえば、大阪新世界。

 

地元をこよなく愛する赤井さんは、小さい時から、
通天閣のお膝元であるこの地を、今もずっと愛しておられます。

 

この地元で、赤井さんを始め、彼の先輩後輩たちが
立ち寄っていたお店が、串カツ店だるま

 

現役時代から通い続け、都内に住む今でも帰省の度に
必ず立ち寄るというこのお店は、2000年頃、
店主の病気の関係上から廃業を検討していたことがあったんです。

 

赤井さんは当然

 

「このままではいけない、何とか存続させたい」

 

と、高校時代のボクシング部の後輩を引き抜き、
店主の元で修業させ、「だるま」は再び暖簾を上げ、
以降も2号店、3号店をオープンさせる盛況となり、
現在に至っています。

 

赤井さんの地元愛と共に、地元の人々からも逆に愛されている
赤井さんの人情味が、よく伝わってくるエピソードですよね♪

 

赤井英和/嫁/佳子/八戸/年齢/画像/韓国

 

在日韓国人・朝鮮人の芸能人(有名人)のガセネタの中に、
赤井英和さんが盛り込まれていたことがあり、
現在の奥様、佳子さんもそうではないかとの噂があるようですが、
佳子さんは八戸出身の日本人です^^。

 

年齢は赤井さんの8歳下なので
単純に考えると47歳ということになりますね♪

画像

 

その奥様の佳子さんのことを赤井さんは、語っておられます。

 

赤井さんの溺愛ぶりが伺える微笑ましい内容ですよ♪

 

ウチの奥さんのことを僕は佳子(よしこ)ちゃんと呼んでるんですけど、結婚して13年になります。知り合ったのは、俳優を始めてからで、僕のことは全然知らんかった。

仕事で東京に来ているときに、たまたま1日休みになった。ホテルにおって、冷蔵庫のビールを飲んでたんやけど、それにしても暇やなと。そのとき、友達のタナカさんが出張で東京に来てることを思い出して、呼び出したんです。そんときタナカさんに一緒についてきたのが佳子ちゃんやった。

2人がホテルに来たときには、僕はもうベロンベロンに酔っ払って寝とって、ピンポン鳴らされても全く気がつかへんかった。2人はフロントに言って開けてもらったらしいんやけど、佳子ちゃんにしてみれば、そんな人、信じられなかったみたいです。

しかも、出てきた僕は、髪はぐしゃぐしゃ、浴衣はベローン、パンツ丸出し。ビールの空き瓶がそこら中に転がってる始末。でも、佳子ちゃんは、それを見て、どうも「かっこいい」って思ったらしいですわ(笑)。

それから、ずっと彼女に支えてもらっています。子供が3人おるんで、彼女は毎日忙しい人やけど、僕の本読みの相手もしてくれるし、いろいろアドバイスもしてくれる。取材や番組の衣装を考えてくれるのも佳子ちゃん。彼女がいてるから仕事ができます。

 

赤井英和/子供/さき/つかさ/ハワイ/プロレス/モデル/人数/何人/双子/病気/大学

 

さて、赤井英和さんと妻・佳子さんの間には、
2男1女の3人のお子様がいらっしゃるようで、
全員がハワイで留学なさっています(゚д゚)。

 

将来のため英語を身につけ、自然豊かな環境で育ってほしい
という夫婦の教育方針で、
米ハワイに留学し、現地の全寮制の学校に通われました。

 

また、赤井さんは離婚経験がおありなんですが、
前妻との間にも2女がいらっしゃいます。

 

この、前妻との間に生まれた次女が、
モデル・女優・タレント・グラビアアイドル・プロレスラー・・・
として活動している沙希さん。

 

沙希さんが、2,3歳の頃、赤井さん夫婦が両親が離婚なさったこともあり、
離婚以来赤井さんと沙希さんが顔を合わせることはなかったそうです。

 

しかし沙希さんが、2004年の写真集発売の際に、
当時の所属事務所が赤井さんの娘だと公表し、
実に14年ぶりの再会を果たされました。

 

事務所側からすると、
名前を売り出すための戦略だったのだと思いますが、赤井さんは
沙希さんが芸能活動をしていることを一切知らなかったこともあって、
大変驚かれたようです。

 

まあ、そりゃそうでしょうね(^^;。

 

赤井さんの血を引いておられるだけあって、
自身の格闘技好きを公言なさっていますが、
太りやすい体質であったため、2009年の夏ごろから
ボクシングを開始して真剣に精神及び肉体を鍛錬なさっていました。

 

親譲りのそのセンスから、
本気でデビューを勧誘されたことも多かったようですが、
現在は女子プロレスラーとして、ご活躍中です(^^;。

 

一方、佳子夫人との間にに授かったお子様3人は、
長女・つかささん、長男・英五郎さん、二男・英佳さん。

 

ちなみに、英五郎さんが長男であるにも拘らず“一郎”ではないのは、
赤井さんの名の「英」と父・五郎さんの名から一文字ずつ取ったため。

 

英佳さんの名は、夫婦の名からそれぞれ一文字ずつですね♪

 

実は、赤井さんには、
1998年6月に未熟児で生まれた双子の娘を失った辛い経験も・・・。

 

それだけに家族の大切さも人一倍実感なさっておられるんでしょう。

 

赤井英和/プライベート

 

それでは最後に赤井英和さんのプライベート情報
箇条書きにてまとめておきます♪

 

★好物…太巻き。寿司。ホルモンうどん。ギョーザ。ホイコーロー。焼肉(多い時は週5回、特にホルモン、石焼きビビンバが好き)。串カツ(大好物、大阪・新世界の立ち食いの店に子供の頃から通っている)。地鶏のバラ焼き。ぶりかまの塩焼き。れんこん のきんぴら。妻が作るみそ汁。にんにく。湯葉。
★嫌いな食べ物…粕汁。
★得意料理…チャーハン。特製ソースをブレンドして作るお好み焼き。
★料理が得意。中華料理店でアルバイト経験がある。
★酔うとオヤジギャグを連発する。
★朝まで飲んだ時は子供と鉢合せして気まずくならないように時間をつぶしてから「昼帰り」する。
★たまに大阪に帰ると実家には寄らずすぐに昔の仲間と飲みに行ってしまう。
★妻は赤井よりもアルコールが強い。
★タバコが大好き。ショートホープを1日に3〜4箱吸う。
★健康法…にんじんジュース。カルシウム(毎日サプリメントを摂る)。 足湯(風邪をひいた時は1時間、夏場も入る)。整体。ジョギング(妻と一緒に走る)。
★早寝早起き。早い時は18:00に寝る。
★好きな音楽…沖縄民謡。
★好きな映画…ヤクザ映画(「仁義なき戦い」シリーズ、「悪名」シリーズなど)。
★爪楊枝を常時携帯。
★格闘技以外のスポーツは苦手。
★部屋はたくさんあるが普段は2部屋くらいしか使っていない。
★自宅の庭にたぬきの家族が来る。
★いきつけ…寿司屋「久兵衛」(ホテルオークラ)。会員制焼肉屋「虎の穴・館」。「石樽」(大阪府堺市)。「丸徳」(大阪・新世界)。
★財布が嫌い(紙幣を普通のクリップではさんで持ち歩く)。
★1年中雪駄を愛用。
★習字、デッサン、英語、茶道を習った事がある。
★休みの日は開店前から並んで夕方までパチンコをやる。
★電話が大好き。多い時は1日50本。たいていは声を聞くだけで長くは話さない。外出した時は1日に何度も家にかける。よくかける相手の電話番号を暗記している。
★年に数回高校大学のボクシング部の後輩や仕事仲間を何十人も自宅に呼んで大宴会をする。正月、花見、ゴルフコンペが定例。正月には揃いのハッピを着てもちつきをして若手にお年玉をあげる。
★草野球チーム「なに友」に入っている。
★毎年春に仲間数十人と一緒にバスを借り切って旅行に行く。
★大学の相撲部の後輩が長年自宅に居候していた。
★次男・英佳は4400gで誕生。3ヵ月検診の時に1歳の検診と思われた程体が大きかった。
★息子はボクサーにさせたいが、女の子はボクサーとは結婚させたくない。
★海外ロケの時は毎日家に国際電話する。
★女性には一目惚れはしない。食事をして、酒を飲んで、いろいろ話をして、どういう人かわかってから好きになる。
★妻に初めて会った時に胸の奥で「この人だ!」という鈴の音が聞こえた。
★妻へのプロポーズの言葉は「俺を幸せにしてくれ」だった。
★妻からテレビ番組でのリアクションに関して厳しくダメ出しされる。
★毎年妻と一緒に世界各地のマラソン大会を走る。
★こづかい制。

 

というわけで赤井英和さんに関する情報をまとめてみましたぁ!

最後までお付き合い頂きましてありがとうございましたm(_ _)m。

▼さらにもっと深い○○な話、次のページでお待ちしています♪

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